歴史

歴史

古来、日本では武士道を「弓馬の道」と呼んでいました。戦いの主力兵器である弓術と馬術は必要不可欠な技術だったのです。日本では、縄文時代から弓が使われていたと考えられています。元々は狩猟の道具でしたが、弥生時代に入ると戦いの道具としても使われるようになりました。平安時代の中頃から武士の出現とともに弓術は武術として確立していきました。また、一方では魔を払い、邪気を払う霊器、神器として弓矢が神聖視されるようになっていきました。江戸時代の初期、京都の「三十三間堂」で西側の軒下の約121mの距離を射通す「堂射(通し矢)」が盛んに行われるようになり、弓術は戦いのための武術から競技へと変貌していきました。江戸時代末期になると幕府は洋式の軍事訓練を採用し、弓術はすたれていきました。明治になるといくつかの流派により、徐々に学校で教えられ始め、復興の兆しを見せました。戦後に発足した全日本弓道連盟の主導により、現在の統一した弓道の方式が制定されていきました。今日では、「心」と「技」の両面を磨くことを大切にして、多くの人が弓道を楽しんでいます。
(画像・『千代田之御表』より作画:揚洲周延)

道具

道具

弽(ゆがけ) 

弓を引くときに右手にはめる手袋のようなものです。いくつか種類があります。ほとんどの人が「堅帽子」を使用していますが、本校では「和帽子」を使用しています。

弓    

大きさにはいくつか種類がありますが、本校では並寸(七尺三寸 約221㎝)の弓を使用しています。このような長いものは世界的に見ても最大級のものだそうです。アーチェリーが大体160㎝だそうです。和弓はずいぶんと大きなものといえるでしょう。弓の強さも人それぞれですが、本校の生徒は大体、13~15㎏の弓を使用しています。

矢    

矢も長さや太さにいろいろな種類があり、個人の腕の長さや使用する弓の威力によって、使用するものが変わってきます。本校の生徒は「1913」「2015」というジュラルミンのシャフトのものを使用しています。その長さは、85~95㎝のものを使用しています。

的の大きさも用途によってさまざまですが、近的(28メートルの距離)では、36㎝の的を使用します。この写真は、高校の試合で使用する「霞的(かすみまと)」です。

射場

射場

近的競技では、28m先の的を狙います。広島県の試合では、ほとんどこちらの素晴らしい弓道場を利用させていただいています。本校では、グランドの隅に安土(的を立てる場所)があるだけです。射位(選手が立つ場所)も土の上で、屋根もありません。雨の日や気候が厳しいときは大変ですが、いろいろと練習に工夫をして頑張っています。(写真・広島県立体育館 弓道場)

射法八節

射法八節